A Journey Through Make’s Shrines
摩気の神社巡り

摩氣神社の祭神は「大御饌津彦命」とされており、この「御饌」は食物のことで、食物をつかさどる神である。摩氣神社の創始は古く、8世紀には存在していた由緒ある神社で、境内には萱葺きの覆い屋や社殿が立ち並んでいます。本殿・東摂社・西摂社附覆屋は京都府文化財保護指定建造物、絵馬舎・神門・鳥居は京都府登録文化財、境内全域は京都府環境保全指定地区に指定されています。
現在も多くの伝統情事が行われています。
〒622-0062 京都府南丹市園部町竹井宮ノ谷3

祭神は、八重事代主命。蛭子神社は「恵美須神社」ともよぶ。創祀は文禄3年1594)。祭神は大国主命の御子である。出雲国土経営に父母助け、また皇孫々岐尊に国ゆずりをす>められた功績は大いった。元摩氣神社の直氏子であったが、中世に当社を氏神とした。往古は菅原神社(宍人)と共に摩氣神社の分社であったという。
〒622-0061 京都府南丹市園部町仁江殿垣内28

祭神は後の応神天皇で、仲喪天皇、神功皇后の御子である。天皇御存位41年、国土を整え、大陸文化を導入して国富み学術技芸盛んに発達して皇威の揚せられたこと前古にその比を見なかった。
旧来摩氣神社の氏地であったが、当初の村内字制礼にあったのを明和元年(1764)現地に移し氏神とした。
〒622-0053 京都府南丹市園部町船阪大門49

祭神は、品陀別命。古文書によれば、創祀は鳥羽天皇の御代(院政白河法皇)の天永3年(1112)。
奥州にて、「後三年の役」寛治元年(1087)に取れた清原氏の一族が逃れて丹波(完人村:今の宍人)に下ったと言われ、この一族(宍人城主小畠氏の祖)によって西山八幡宮が奉祀され氏神とされ、その後天文19年(1550)再建、摩氣神社の末社となった。
〒622-0054 京都府南丹市園部町大西宮ノ前24

祭神は、品陀別命。
従来摩氣神社の直氏子であったが、室町時代天文年(1532)当社を氏神とした。
元文5年(1740)改築、更に大正6年(1917)5月改築した。伝えて摩氣神社の分社であるともいう。
〒622-0054 京都府南丹市園部町大西 西宮ノ本13

祭神は菅原道真公。創祀の年代は正応元年(1288年) 『船井郡神社誌』によると、当地域は古くより摩気神社の直氏子だったようですが、後の時代に別に奉仕していた「古天神」を遷して氏神としたのがその始まりと伝えられています。
〒622-0055 京都府南丹市園部町宍人市場113

祭神は、味鋤高彦根命。古来摩氣神社の氏子であったが、徳川4代将軍家網の代、延宝3年(1675)本社を創祀して氏神とした。また伝えて摩氣神社の分霊を祀るという。天満宮を本殿向かって右に併置する。
〒622-0045 京都府南丹市園部町半田クボラ3−乙

祭人は、吉備津彦命。
創立年月は不詳であるが、宝徳2年(1450)再建、慶安2年(1649)焼失、慶安4年(1651)再建、今日に至っている。
〒622-0046 京都府南丹市園部町口人垣内40

祭神は武甕槌命・経津主命・天児屋根命・宇須売(ウスヒメ)神の四神。『創祀は後土御門天皇の室町時代、文明2年(1470)で、慶安4年(1651)再建となっている。往古は薮田神社の氏地であったという。
〒622-0046 京都府南丹市園部町口人宮ノ谷27

祭神は、伊邪那岐尊 伊邪那美尊。往古は東本梅の藪田神社の氏地で本社はその末社であった。祭神はいうまでもなく我が国創始の大祖神である。
創祀は宝亀7年(776)で昭和15(1940)年6月、幣帛供進指定村社となる。毎年例祭には隣村口人地区の氏神すべてここに集まり、
氏子供奉して祭典に奉祀する。山峡森厳の神域で、古文書によれば男女祖神の尊像を宝鏡に鋳て祀していたのを、破損のため新たに彩色の木像にした。宝永3年(1706)及び安年(1776)再建された。
この鏡神社に虫送りの行事が伝わっている。
〒622-0047 京都府南丹市園部町口司 奥の谷39の乙

真言宗御室派の寺院。
810年(弘仁元年)空海によって創建されたと伝えられ、その後白河法皇の帰依を得て伽藍の造営が行われ、白河法皇の皇子覚行法親王が入寺したという。
その後兵火などによりたびたび焼失して衰退した。
〒622-0053 京都府南丹市園部町船阪大門47

玉賓山龍穏寺は、曹洞宗別格地で京丹波町市森の玉雲寺、園部町小山の徳雲寺とともに「三うん寺」と呼ばれ丹波地方の同宗派きっての名刹の一つである。
紅葉の名所としても知られています。
〒622-0061 京都府南丹市園部町仁江甲溝畑1